スキップしてメイン コンテンツに移動

つれづれ入院日記 45 淡中さんのこと 2025.12.20夜

◉今朝、「痒い、痒いのつぶやきは消えましたか」の励ましの声をいただきました。ぼくは「痒い痒いから、腹減ったあに変わりました」と返信しました。今日はこのあたりから話し始めますね。

◉主治医の先生の治療方針に基づいて、第1クールの延長戦に入ってますが、あれだけ辛かった「痒い、痒い」はだいぶおさまり、別に気になることが起きてきました。①病院食をしっかり食べているのに1週間に体重が4㎏も落ちたことです。②手足が細くなり、筋力が落ちています。起ち上がりに筋肉のプルプルがあり、歩行時もふらつきがあります。それまでは輸血をすると無敵の元気状態になっていたのに何か違う。入浴ができない。っていうか、お風呂に入るのにこんなに力が必要なのかって感じです。③病院食食べても夜眠れなくなる飢餓感、これにはさすがに参りましたね。

◉3点まとめて主治医に聞いてみました。①肺炎・肺胞出血、②クスリにアレルギーを起こした湿疹、これらと戦うために使った強力なクスリ、「プレドニンの影響だと思います」と。そうか今の既定方針通り①②を退治して、その後プレドニンを減らして行けばいいってことか。納得。加えて「リハビリも検討しましょう」と言ってくれました。

◉ここで話が変わります。11月から12月は漬物の季節です。わが家でもニシン漬けや飯寿司をつけます。認知症で漬けられなくなったぼくの母からまず妻が引き継いで、近年はぼくも一緒につくっています。おすそ分けして「美味しかった」の声に気分をよくして、毎年樽の数を増やしてせっせと配っていました。

◉ところがぼくの入院のせいで漬けたのは結局ひと樽だけ。できあがりを写真で見ましたがとても美味しそうです。ぼくは感染対策で漬物禁止なので食べられないのが残念。そして、今日、妻に頼みました。ニシン漬けを届けてほしいって。ぼくがとても大切にしている人、淡中あきこさんのところにです。

◉淡中あきこさん、どんな人?ひとことではいい尽せません。今日は出だしだけ。もしぼくが病気にならず、入院していなかったら、ぼくと淡中あきこさんは先月11月に一緒に、韓国の安山市(アンサン市)に旅行に行くはずの人でした。しかたなくぼくはキャンセルし、淡中あきこさんは単身韓国へ飛び立ちました。

◉淡中あきこさんは1944年生まれ。81歳。ぼくは1959年。66歳。15歳差。淡中さんは言います。高橋さんは弟と同じ歳だから弟だと。

◉淡中あきこさんは、樺太(サハリン)生まれです。1945年1歳の時、ソ連軍が樺太に攻めてきました。おかあさんとの逃避行。あきこさんは高熱を出しましたが九死に一生。おとうさんは内地の炭鉱。生き別れ。おかあさんは助けてくれた韓国人と再婚。サハリンで韓国人世界の中で生き、2000年日本に夫ともに永住帰国したのが淡中あきこさんです。淡中あきこさんとその家族はまさに日本の現代史の生き証人です。そしてぼくは淡中あきこさんの追っかけです。この言葉がぴったりです。

◉サハリンから日本に永住帰国した人もいれば、韓国に永住帰国した人もいます。アンサン市にはそういう帰国者が1000人以上と言うからすごい。淡中あきこさんの友だちもそこに住んでいます。会いたいと思ったらいてもたってもいられない。だれか一緒にいてくれる人は?はい、ぼくが行きます。桃太郎についていく犬のようにお供をする予定だったのです。そのためにロシア語を一生懸命勉強していたのですが断念しました。

今宵はここまで(長文ごめんなさい)

コメント

人気の投稿

つれづれ入院日記 70 2026.01.08早朝 いよいよお別れです みんな、ありがとう

主治医の告知を受けて夫婦で大泣き いよいよお別れです みんな、ありがとう ◉昨日の午前、いま受けている治療について「悪化している間質性肺炎が治ることはむずかしい」ことを主治医の先生が静かに説明してくれました。 ◉説明のあと、ぼくの目からとめどもなく涙が溢れ、嗚咽が止まらない。「なんでオレ泣いているんだろう?」「がんばってきたからじゃない?いいんだよ。一緒に泣こう」、妻が言ってくれた。二人で大泣きした。「 人生には満足してるよ。家族にももちろん 」「うん、わかってるから」。 ◉うん、涙の意味はわからなくてもいい!人生をやり遂げた満足感、家族や支えてくれた人たちへの感謝の気持ち、早すぎる別れの寂しさ、もう頑張らなくてもいいと安堵感もある。時々、余震の嗚咽はあるけど、スッキリだ。 ◉午後から、娘の旭(あさひ)、弟のでっちくんこと光(ひかる)が、さらに母の佳子(よしこ)をデイサービスから連れてきて、孫のひまりも面会に来て、写真を撮ったり昔話をしたりと、楽しい時間を過ごしました。息子の湧(わく)は風邪気味で来られませんでした。 妻(純子)と母(佳子) 認知症の母、多分状況を理解してないんだろうな、それが救いかも でも一生懸命さすってくれる手がとても優しい 弟・でっちくん、状況間違ってピースサインw いつも手を握り温めてくれる孫のひまり ◉主治医の先生も、家族以外にも会いたい人がいたら面会の手続きを取ってくださいと言ってくれています。 ◉幸か不幸か、私は父を間質性肺炎で看取っているので、できるだけ苦しまないでいくイメージはあります。それまでの時間、できるだけ楽しく過ごして行きたいです。主治医の先生に伝えてあります。 ◉きのうのブログ配信後、心苦しかった。ぼくの回復を信じてくれている人がいるから。でもここでみなさんに、お別れの時期が近いことを伝えることにします。支えてくれてありがとうございました。    娘の旭(あさひ)からラインきました。号泣の余震です。 かなり大きいやつ。あさひ、ありがとう。 ◉たくさん迷惑かけてきたけど、お父さんとお母さんの娘に生まれて幸せだったよ。ほんとに。 ◉今までたくさん頑張ってきたね。ほんとに、お父さんのことは尊敬してる。1番の自慢のお父さんだよ。 ◉ひまりのこともいっぱいいっぱいありがとう。感謝ばっかりだよ。ひまりの成長もまだまだ...

つれづれ入院日記 71 2026.01.08昼

◉主治医の先生の告知のことを、みんなに知らせたら、胸のつかえが取れて、今はとてもスッキリです。   ◉すると昔の朝ドラの主題歌の『泣き笑いのエピソード』っていう言葉がずっと耳にこだましています。   ◉この病室でのこれからの生活が、楽しい泣き笑いのエピソードのひとときになれば、と思っています。   ◉なお、みなさんから寄せられたメッセージは、私の体力を考えて、弟のでっちくんが、ブログ管理人の立場で、紹介してくれることになっています。

佳大さん安らかに永眠しました

  高橋佳大はかねてより入院中のところ、 骨髄異形成症候群および間質性肺炎により、 2026年1月14日午前7時14分に永眠いたしました。66歳でした。 皆さんと共有した温かい時間や、いただいた励ましの言葉によって幸せに旅立てました。 ありがとうございます。  今後、このブログは追悼として残したいと思います。                                家族一同 ◉  「高橋佳大お別れ会」日程 ⚪︎納棺 1月15日(木) 10:30 ⚪︎お別れ会  1月18日(日)  17:00~20:00 随時受付・随時献花 ⚪︎出棺  1月19日(月) 8:30 (9:15火葬) 式場  赤坂中央斎場 〒040-0081 北海道函館市田家町5-29 0138(41)8787