◉今朝、「痒い、痒いのつぶやきは消えましたか」の励ましの声をいただきました。ぼくは「痒い痒いから、腹減ったあに変わりました」と返信しました。今日はこのあたりから話し始めますね。
◉主治医の先生の治療方針に基づいて、第1クールの延長戦に入ってますが、あれだけ辛かった「痒い、痒い」はだいぶおさまり、別に気になることが起きてきました。①病院食をしっかり食べているのに1週間に体重が4㎏も落ちたことです。②手足が細くなり、筋力が落ちています。起ち上がりに筋肉のプルプルがあり、歩行時もふらつきがあります。それまでは輸血をすると無敵の元気状態になっていたのに何か違う。入浴ができない。っていうか、お風呂に入るのにこんなに力が必要なのかって感じです。③病院食食べても夜眠れなくなる飢餓感、これにはさすがに参りましたね。
◉3点まとめて主治医に聞いてみました。①肺炎・肺胞出血、②クスリにアレルギーを起こした湿疹、これらと戦うために使った強力なクスリ、「プレドニンの影響だと思います」と。そうか今の既定方針通り①②を退治して、その後プレドニンを減らして行けばいいってことか。納得。加えて「リハビリも検討しましょう」と言ってくれました。
◉ここで話が変わります。11月から12月は漬物の季節です。わが家でもニシン漬けや飯寿司をつけます。認知症で漬けられなくなったぼくの母からまず妻が引き継いで、近年はぼくも一緒につくっています。おすそ分けして「美味しかった」の声に気分をよくして、毎年樽の数を増やしてせっせと配っていました。
◉ところがぼくの入院のせいで漬けたのは結局ひと樽だけ。できあがりを写真で見ましたがとても美味しそうです。ぼくは感染対策で漬物禁止なので食べられないのが残念。そして、今日、妻に頼みました。ニシン漬けを届けてほしいって。ぼくがとても大切にしている人、淡中あきこさんのところにです。
◉淡中あきこさん、どんな人?ひとことではいい尽せません。今日は出だしだけ。もしぼくが病気にならず、入院していなかったら、ぼくと淡中あきこさんは先月11月に一緒に、韓国の安山市(アンサン市)に旅行に行くはずの人でした。しかたなくぼくはキャンセルし、淡中あきこさんは単身韓国へ飛び立ちました。
◉淡中あきこさんは1944年生まれ。81歳。ぼくは1959年。66歳。15歳差。淡中さんは言います。高橋さんは弟と同じ歳だから弟だと。
◉淡中あきこさんは、樺太(サハリン)生まれです。1945年1歳の時、ソ連軍が樺太に攻めてきました。おかあさんとの逃避行。あきこさんは高熱を出しましたが九死に一生。おとうさんは内地の炭鉱。生き別れ。おかあさんは助けてくれた韓国人と再婚。サハリンで韓国人世界の中で生き、2000年日本に夫ともに永住帰国したのが淡中あきこさんです。淡中あきこさんとその家族はまさに日本の現代史の生き証人です。そしてぼくは淡中あきこさんの追っかけです。この言葉がぴったりです。
◉サハリンから日本に永住帰国した人もいれば、韓国に永住帰国した人もいます。アンサン市にはそういう帰国者が1000人以上と言うからすごい。淡中あきこさんの友だちもそこに住んでいます。会いたいと思ったらいてもたってもいられない。だれか一緒にいてくれる人は?はい、ぼくが行きます。桃太郎についていく犬のようにお供をする予定だったのです。そのためにロシア語を一生懸命勉強していたのですが断念しました。
今宵はここまで(長文ごめんなさい)
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