最期のつぶやき
◎ブログ見てると、いい兄弟なんですねってみんなが書いてくれるんだ。まだ弟のことは何にも書いてないんだけれど。
僕はね、小さい頃は泣きべそだったんだ。いつもなんか心配してたんだよなぁ。例えば、光はちょっとおだってる(調子に乗る)ところがあるから、ちょこまかちょこまかしたりしてたんだよ。すぐに、いなくなるんだ。家族で買い物に行っても、釧路のデパートのその階からいなくなったりしてさ。探すわけよ、僕は。あぁ、いなくなった!光がいなくなった!って、大騒ぎになって。家族旅行で昭和新山のロープウェイに乗ったんだけど、そしたら光だけ乗ってないのさ。ちょこまかしてるからさ。そしたら、光いない!光いない!って、また不安になって。でも探しようもないからさ、ベソかくわけよ、僕は。それと、光のほうが体が弱かったから、猩紅熱で隔離されたときは、心配で心配でしょうがなかった。
心配性ってことは多感だってことでもあるんだよ。だから世の中のつらいこと、悲しいこと、理不尽なことを忘れられず、自分の心にため込んで、ひとりで宿題にしてたんだね。
(その内容をいくつか列挙することになります。)
◎朝ドラの「あんぱん」に出てくるんだけど、その中でやなせたかしが「逆転しない正義」ってなにかって言ってるんだよね。中学生のときに、少年ジャンプっていう漫画雑誌で「はだしのゲン」を初めて読んだ。クラスメートみんなで見てた。ここで初めて僕は原爆っていうのを知ったんだ。とても衝撃的で、こんなことが世の中で起きていいのかって思った。人間として生きることもできない、人間として死ぬこともできない、生まれて初めてそういう惨状を見たわけだよ。この世の中に核兵器があってはならない、原爆があってはならないというのは逆転しない正義だって、たぶんそのとき中学校2年生の僕は強く感じたんだよね。今でも我が家には「はだしのゲン」の愛蔵版がある。なぜだか息子のわくが保存してたんだ。もう一回読みたいと思ってたんだけどね。「はだしのゲン」は僕の原風景なんだよ。
◎そして、子どもながらにいろんなことを考えて、やっぱり日本のやった戦争は間違った戦争だったって、だんだんわかるようになっていった。やっぱり戦争しないっていうのは、「逆転しない正義」で、自分の中に「逆転しない正義」がちょっとずつ積もっていったんだと思うんだ。その時に、戦争にすべての人が賛成したわけじゃない、戦争に反対した人がいるっていうことを知ったんだよね。日本人全部が戦争に賛成したんじゃないっていうことは、すごい衝撃だった。こんな風に「逆転しない正義」のために命をかけた人がいたんだと、ものすごく尊敬した。そして、それをやったのは日本共産党の人たちだった。小林多喜二だった。小林多喜二は自分が書いた小説の拷問のシーンよりも、もっとひどい拷問で殺されて命を落とした。いったいこういう人はどんな人たちなんだろうと憧れを持った。こんな風に生きてみたいと思ったんだ。それで大学生に入ったときにどうしたら日本共産党に入れるのか探しに行って、19歳で共産党に入った。あの時は本当に喜んでたな。ああ、僕は本当に本当に自分の人生を見つけたぞって。新しい人生のスタートなんだって。
◎それからは、もう一生懸命だった。衆議院選挙にも出たし、市議会議員の選挙にも出たし、函館の共産党の委員長にもなって一生懸命頑張ってきた。そういうことにも悔いはない。今まであんまり言ってこなかったけど、みんながブログを読んで「ああ佳大さんいい人だね。」って言ってる姿と、僕が一生懸命にやってきた日本共産党の活動や公人としてやってきた姿は同じなんです。別々に考えるかもしれないけれど、すべて全部自分なんです。高橋佳大なんです。全部まとめてこれが高橋佳大です。
◎2011年にすごい地震があったよね。原発事故で福島に住んでる妹たちに函館に避難してきてもらったよね。そして今、函館の向かいに、最悪な原発をつくる話があってさ、それが大間原発。でも、函館のみんなはさ、大間原発に反発してるじゃん。それってすごいよね。函館も裁判起こしてるし、この力ってやっぱりすごいと思う。やがてはさ、本当に原発のない安全な世の中を作る力になってくると思う。それを信じていきたいね。そういう函館市民の力とか国民の力とか、原発のない社会をつくる、それを信じていきたいな。そういう力を持ってると思う。それもまた、「逆転しない正義」だね。
人々の心の中に希望を見ている。そういうのを信じて、今、ごの後に及んでも、力はないけれども、そのために僕は最後まで力を尽くすでしょう。
高橋佳大
◎佳大さん、父の言った言葉は途切れ途切れで一つの文章になっていないけれども、最大限汲み取るよう文章に起こしました。彼の意を尽くしているか自信がありませんが皆様に伝われば幸いです。(純子、旭)
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